Heijin's Fashion sence of artistic idea 平仁流芸術観念
Digitalart Photgraphics & photographie creative studio
梅雨まだ明けやらず
今年の梅雨期は「冷梅雨」だ。正月から天候不順な日が多い気がしていたが春先は花冷えだろうと受け流して寒い春を甘んじて受け止めていたが、梅雨に入ってもその寒冷地仕様は振り払われずに夏に入りそうだが、このままではいささか沖縄のアッチーと叫ぶほどの熱さを期待して沖縄へ観光に来る人々に
まぁ、老体の私としては暑くてやりきれないよりはこれくらいの冷え冷えとした気温がすごしやすさを囲ってくれて却ってありがたいものだがこのままの状態で夏もこんな感じになってはなどと些か年寄りじみて心配したりもしている。
沖縄の梅雨も梅雨入りしたころには爽やかな薄曇りの日が多くて空梅雨気味でじめじめ感もほとんどなかったのだが、中頃以降は雨がちの空模様が多くなってやはり梅雨だったなと思わず納得してしまうほどに雨の多い日が続いていた。そのんなうっとおしさの続く毎日が繰り返されて今年も6.23の沖縄慰霊の日が近づいている。慰霊碑の前後までが例年梅雨時期の平均的な梅雨期間のようだが今年もだらだらと梅雨だけはお決まりで続きそうだ。
六月も中旬を終えて下旬へと向かう今日十九日も朝からパラパラ降り続く雨が夕方には篠つくほどの激しさをみせて降りしきり、夕闇が押し迫る頃合いには激しさも増して土砂災害注意報が発令されるほどの様相となってさらに気温を低下させてヒンヤリとした冷気が夕闇をさらに侘しくさせていた。傘を手に帰宅を急ぐ人々も一様に歩を急いている様子に見えて若夏の沖縄とは思えない風情にベランダ越し通りを行き交う人々を思いやって見つめていた。
雨にも色々あるが
梅雨時期の歳時記を彩る花は紫陽花だろうか。人によってはそれぞれの思い入れがあるだろうけれどアジサイはやはり雨に映える花の代表格だと思う。沖縄の浜辺ででよく目にする「浜昼顔」も雨がよく似合う。五木ひろしが唄っているけどあの歌詞もクサイ!恥ずかしくて唄いたいと思う人はいないだろうな。(:D)┼─┤
篠突く雨に思い至り
連日、終日降り続く雨のことを宿雨という。長雨のことだが梅雨時期の雨は宿雨とは言わないのかと気になったのでググってみた。すると雨の事を色々と集めて解説しているWebPageがあった。雨の言葉
篠突く雨は土砂降り状態の激しい雨の事だが語源は篠竹が降るが如くの隙間のない激しい雨だと解説があった。本当のような嘘の話のようで興味深い。本当にそういった意味だとすれば、いったい誰が考えたのか気になる。竹が降るようでは命がない、きっとそれほど激しい雨で閉口した人が大粒の雨が落ちる天を睨んで思いついたのだろうか。
「篠突く雨」と言うタイトルの歌もあったがこちらは人にお勧めするような感動的な抒情詩でもなかった。どちらかと言えば聴くに堪えない出来栄えの歌詞だな。(:D)┼─┤
安治佐為の 八重咲くごとく 弥(や)つ代にを
いませ我が背子 見つつ偲ばむ
~橘諸兄 『万葉集』 巻20-4448
あじさいが 幾重にも群がって咲くように いついつまでも 健やかでいてください この花を見るたびにあなたを思い出しましょう西暦755(天平勝宝7)年5月11日に行われた宴席で館の主、丹比国の長寿を寿いで詠んだ歌です。橘諸兄は同じ年の11月、今度は自宅での宴席で、聖武上皇の病気に対する不敬な発言があったと讒言されました。内容は藤原一族ばかりを重用する現政権への批判でした。上皇は問題にしなかったものの、諸兄自身がこれを恥じて翌年2月に官職を辞しています。このことが2年後に起こった諸兄の長男、奈良麻呂による空前のクーデター未遂事件、橘奈良麻呂の乱(2月26日の稿参照)の端緒となったのです。
原文: 安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都々思努波牟
@HeijinStudio_cms